愛情是人類極為切實的情念,特別對詩人而言,更加是驅使他奮起對創作意欲最大的內在要因之一。
我們無法想像從這個世界去除了男女問題後的景象。男女不存在的世界,那絕對與人類毫無關係,而實際上沒有人會在乎它。
多數的作家差不多在年輕時期都寫過詩,並且幾乎多數作品都是充滿奔放熱情,歌詠著對異性的思慕、憧憬或酸悶不已的情感佔多。但隨著時間的流逝、年齡的增長,愛情的熱度會漸褪。到了成為深於世故、舉止優雅道貌岸然的人後,情感會慢慢枯竭,再以慣性式的手法繼續寫詩的人也不少。在我看來這是極為自然的現象,是不足為奇的。這種人我以為稱為「詩人」,不如叫做「詩的人」還比較恰當。
情詩實在多種多樣。從極為激情的肉慾衝動至穩靜溫柔的關懷,微妙地呈顯種種型態。這樣的愛的諸象,從不會被詩人們完全予以詠盡。世界的所有詩人,在相異的自然環境或在其成長的過程,分別擁有獨自的愛的訴求,也許多少會與我們的生活情感有些相差,但同樣帶給世人比現實的愛情更強更深的感動,這點卻是古今中外都沒有什麼不同的。
變幻無窮的愛的形態、愛的溫柔、歡愉、悲傷、哀嘆和痛楚,愛和自己的斷絕感、距離感、愛的不可知性∣∣確實祇能感覺,但卻是不可測的。詩人的年輕期被這種漩渦捲入打滾,精神被淨化逐漸昇華。沒有經過此類經驗而創造偉大文學作品的人,過去究竟是否曾經存在過,值得懷疑。
沒有為愛苦惱過、挫敗過的人「給狗啃掉好了」,著名的作家曾經如此挖苦過並且一語道破:「戀愛是一種會發高燒的熱病」、「一生沒經過此事,在感情的世界,絕對無法得到免疫」。
發燒一退人會變得較理性,較冷靜,然後會注意週遭的社會,關心,然後會以較高的層次寫愛情的詩。
張德本是到了熟年的階段,仍然不斷書寫情詩的少數詩人之一。他把激情抑壓在精神的深處,以典雅端正的詩風,寫了不少情感橫溢又高品格的作品。
他的詩有時呈顯純真又清爽的抒情,有時噴出幾乎要焚毀一切的激昂的火焰,執意做強烈的社會批判和文明批評,並一貫不放棄異端的自負,以俠客自傲,為了誠實而戰鬥不休。一直將劍鋒指向虛偽和粉飾而走過來的這位詩人,在長久的孤獨中逐漸向形上思惟的世界傾斜。
不畏懼被孤立,獨來獨往的言行背後,其實隱藏著他對人類懷抱的溫馨和憐憫。若在現實生活中慣於妥協和搖擺不定的人,與他可說是最無緣的。
他曾經說過:「現代是既不能醒也不能睡的時代」。
堅持自己的精神容貌和據以立足的姿勢和支點,應該是詩人的一種尊嚴和自豪。因此作品算不算詩,必須從精神的縱深和境界來檢驗,而這絕對是屬於作為創作的工具、手段的文字以外的領域。
從本詩集裡讀者將會發現,追求真實的勇氣和欲活在關愛世人的永遠祈願中,還要固執大是大非的一位孤高的詩人,在他所寫的情詩中,我們可以盡情汲取風雅和豐饒的情愛感動!
誇り高き異端の詠える 錦連
愛は人間にとって極めて切实な情念であり、特に詩人にとっては、いやが上にもその創作への意欲を駆りたてる最も大きな內在的要因の一つである゚
この世界から男女の問題を取り除けば一体何が殘るか想像できない゚男女の存在しない世界、それは人間とは無關係で、あってもなくてもよいに違いない゚
殆んどの作家はその若い時代に恋愛の詩を書いている゚しかもその殆んどが情熱溢れる詩句によって、奔放に詠われる異性への思慕や憧れや、やるせなさに滿ち充ちているものが多い゚
しかし時とともに愛情は色あせ、世故に長けて聰明そうな顏付きになってくると、徐々に情熱が枯れ、惰性で何とか恋愛の詩を書き続けている者も少くない゚それはわたしから見れば極めて自然的な現象で異とするに足らない゚そんな人は「詩人」と言うより「詩の人」と呼んだ方がいいと思う゚
恋愛の詩は多種多樣で、激しい肉欲の衝動から、おだやかなやさしい心づかいに至るまで、微妙にさまざまな形をとる゚そうした愛の諸相のすべてが、詩人たちによって完全に詠い尽されることはない゚世界のあらゆる詩人が異なる自然環境や成長の過程に於てそれぞれ抱く独自な愛の訴えが、多少われわれの生活情感からかけ離れることはあっても、現实の愛以上に強く深い感銘を与えるものであることは古今東西を通じて同一である゚
愛のさきざまに変化する姿、愛のやさしさ、歓び、悲しみ、嘆き苦しみ゚愛と自分との断絕感、距離感、愛の不可知性——愛は確かに感じられこそすれ、測ることは不可能だ゚詩人の若き時代はこうした渦の中に卷きこまれて精神的に淨化され昇華する゚こんな経驗を経ずして立派な文學作品を創った人は、一体いままで曾て存在したか疑わしい゚
愛の苦惱、挫折を感じなかった者は「犬に食われてしまえ」と毒舌を吐いた著名な作家はまた、
「恋愛は一種の熱病である」とも言い、そんな経驗のない者は明らかに人生の感情世界から免疫を得ることはできないとも喝破している゚
熱がさめると人は理智的になり、冷靜になる゚それから後は周りの世界に目を向け、関心を抱き、更に進んだレべルで愛の詩を書くことができるようになる゚
張德本は熟年に達しても情愛の詩を書き続けた少數の詩人の一人である゚
彼はパセティツクな愛の激情を內に抑えた典雅端正な詩風で、情感溢れる気品の高い作品を書いている゚
その詩は時には清純で爽やかな抒情を呈し、時には何ものをも燒き尽さんとする激越な焰を吐きながら、強烈な社会批判と文明批評に執念を燃した゚彼は一貫して、反逆児としての自負を捨てず、俠客精神に誇りを持ち、真实に生きようとして戰かってきた゚虛偽と粉飾に刃をつきつけてきたこの詩人は孤獨の中で、いつも形而上的な思考へと傾いて行った゚
孤立を恐れない彼の言動に、やさしい人間愛が潛んでいることを理解できない世俗的な人々は彼とは無緣の存在である゚
現代は醒めていることもできない時代であり、眠ることもできない時代でもあると作者はいう゚
己れの精神の容貌とその據って立っところの姿勢と支點を堅持することが詩を書く者の誇りである゚從って書かれたものが詩であるか否か、それはその詩精神の縱深と境界から檢出されなければならない゚そしてそれは手段としての文字以外の領域に属する゚
この詩集の中から、読者は真实を求める勇氣と、人を愛することへの永遠の祈願に生きようとする詩人の、孤高な風雅と感動を汲みとることができるであろう゚
——二00七年五月